壊れかけのテープレコーダーズ待望の新譜。
このアルバムの発売に先駆けて、収録曲の「聖者の行進」のPVが公開された。
このPVに触発されて、ただただ衝動的にこの映像に関しての記事を書いてしまったのだった。

そうしてようやく発売を迎えた。
アルバムタイトルから色々と邪推してしまったけれど、その文字列や楽曲の中から彼らの決意を感じた。
それが、どんな決意だと感じたのかは、記事本文にて。



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「broken world & pray the rock'n roll」と題されたこの一枚。
シングルを挟んだが、前アルバム「ハレルヤ」から数えるとおよそ二年ぶりのアルバム。


9曲入りのこのアルバムは、真ん中の一曲「broken world」を挟んで4:4のA面B面で分かれたレコードのよう。

楽曲一つ一つもさることながら、全体で一つの作品という、総合的な完成度の高さが際立つ。

ではそれぞれの面に込められたものとはなんだろうか。
いつだって勝手な自己解釈を存分に発揮して書いてみることにする。



幕開けの「15歳のポケット」はVo.komoriの青年期の純たる思いが綴られている。
ノストラダムス、マーシャルアンプのツマミ、ブルージーンズ、グランジの夏。
ロックンロールへの出会いを様々なキーワードで詰め込んだこの楽曲はなんとなく甘酸っぱい。
まさか壊れかけの音源に対して甘酸っぱいという表現を使うとは!でも少年時代のあのなんにも分からないけど込みあげてくる無敵感が音に乗って響いてくる。



タイトル通りさわやかな雰囲気の「海岸線」は、歪みすら爽やかなギターリフの中、これまでにないオルガンの軽やかなソロが際立つ。
青臭さすら感じる。まさか壊れかけの音源に対して青臭さという表現を使うとは!
思わず同じ文節を書いてしまったけれど、もはやたった二曲でこれまでとは違う色を演出してしまっているのだ。新しい壊れかけテープレコーダーズの提示とともに、それが少年や青年という若いシルエットを想起させるのがなんとも逆説的で面白い。



三曲目は視点が一転した「エンドレスワルツ」
がむしゃらに進む人物を見守る恋人のような視線で、yusaが優しく歌いあげる。
アコースティックを基にした編成の中、艶やかさすら感じるピアノの音色とツインボーカルが、バンドの振り幅として存分に発揮されているのを感じる。



これまでの楽曲の連なりで生まれた、ノスタルジックな雰囲気や胸をくすぐるような想いを「聖者の行進」で壊しにかかる。
彼がこれまで積み上げてきた世界を壊すことによって、新たな自分と邂逅する。
彼というのはこの一連の楽曲の中の主人公。もしかしたらkomori自身かも知れないし、そうでないのかも。


右手にはライフル、左手にはバイブル
その書物に習い天の捌きを下せ


彼なりのライフルがきっとフルテンで鳴らすギターであるのだと思う。
このフレーズの後のギターソロが最高にかっこいい。さながら狼煙のようだ。

ロックンロールを武器に世界を壊した後、彼は何を思うか。


そうしてアルバムは中盤に入る。

9分11秒という壮大かつ意味深な秒数で奏でられる大曲「broken world」
寡黙にリズムを刻むドラムの中、空間の広さを感じさせるオルガンとギターに、どこか温かな温度を持つベース。
讃美歌のようなコーラスと掛け合いが美しいそれぞれのボーカル。
言葉のイメージとは裏腹になんて美しい楽曲なんだ。
と書いたあとに気づいた。これは壊れる情景ではなくて、壊れた後の清々しさが描かれている。brokenだった。


こんな世界に
何を祈る?望む?捧ぐ?
祈る?


壊れかけたテープレコーダーから 聴こるかのようなこの歌は
あなたのもとに届きますか? あなたのもとに届きますか?


満を持してバンド名をこのように用いるのもなんだか胸と目頭の熱くなる展開。

これはA面ともB面とも言いづらい、まさに中核を成す楽曲だ。






ミドルテンポで再スタートを切るように歌われる「どこにいても」の一節と、その後の「夜の果てへの旅」の一節を引用する。


どこにいても、ここが「ここ」だよ 変わりもせずに歌っているよ

(どこにいても)

あの歌が聞こえる その方角だけを頼りに
(夜の果てへの旅)





上記の引用した歌詞を含めて、

歌を歌い続けていれば、そこが居場所になる。
どんなに遠くにいようと、歌があれば、そこに居場所ができる。
そんなことに気付かされた。

この考えがアルバムタイトルにある祈りという言葉と合わせて、どこか宗教的に感じる要因が。

何かを切り取って歌詞とする、その景色や感情に何かを思って、それを歌詞にするという行為は、もしかしたら祈りに似ているのかも知れない。
祈りというのは自己と向き合う行為であると思う。
日常で出会う素晴らしいものだったり何か引っかかるものだったりを、その人なりの言葉で歌詞として落とし込んでいくという行為は、祈りのそれと似ているような気がする。
なんてストイックな所業なのだ。


その時々の感情を歌いながら生きていくということは、巡礼のようだ。
そうやって一生を捧げるためには、歌を歌い続けなければならない。

その「継続」への決意がこのB面辺りからひしひしと伝わってくる。
文字通り、一生音楽を演奏し続けることを誓っているように聞こえたのだ。

そんな感情の中、ポジティブで救いの光を感じさせる「ひとつ」への流れが本当に素晴らしい。



アルバム最後は「ロックスターのお墓参り」
流麗な「ひとつ」から一転してパワフルかつフィジカルなアンサンブル。
ロックンロールを築き上げてきた全てのアーティストへの敬意と、挑戦状のような楽曲だと思う。

彼らみたいな栄光と破滅を
17歳にもなる頃は描いていたけど
伝説にもなれないロックンロール
27歳になる今も、僕は続けてる


ドラムのリズムパターンに沿って、何の余韻も残さずいさぎよく終わるラスト。


映画みたいなラスト二曲だった。
ハッピーエンドの余韻が残るエンドロールの後、突然流れる次回作への伏線を匂わせる映像のよう。
あっさりとした無音は、これからも彼らの音楽が続いていくような予感を思わせるエンディングであった。



このアルバムは間違いなく壊れかけのテープレコーダーズ現時点の集大成であるとともに、これからも歌い続けていく決意、このバンドで音楽を鳴らしていく決意が込められた一枚である。
A面の最初の4曲はこれまでの自分とその殻を破るまで。犠牲を伴う選択もあっただろう。B面はそれからの彼らの見つけたもの。継続の決意だったり、音楽の深遠さだったりするのだと思う。
ジャケットの花束が、過去の選択で壊された何かへ手向けられた花束のように感じる。

問題はこれは音楽に限った話じゃなく、壊してきた過去があるとしても、現在の自分の中に確固たるものを持ち続けているかどうかだ。


話を壊れかけのテープレコーダーズに戻して、締めとする。

このアルバムの収録外の新曲も早速ライブで披露されていたらしい。どんどんバンドは進んでいく。
音楽を続けた先に何が見えるか、それはもちろん本人たちがこれから見つけていく景色であるけれど、このアルバムを出した今ですらも青臭く思えてしまうような日なんかきたら、第三者ながら最高だなと考える。