この人には音楽しかない!
ライブを見てそう思った。

そんなやりたいことをやっている、「楽しさと苦しさとその他諸々と、でも楽しさ」をグッドメロディに乗せて歌われた一曲。

映像から見え隠れする、出会いと別れの奇跡みたいなやつと、それすらもひっくるめてぶち壊す爽快さについて。




今回はアルバムをリリースしたばかりの、僕のレテパシーズというバンドから、MVをレコメンドしたい。



僕のレテパシーズはVo.古宮大志率いるロックバンド。
11月に発売した初の全国流通盤「ぴりぴりのファースト」がとっても良くて、本当はアルバムごとレコメンドさせてもらおうかと思っていたのだけれど、それを上回るMVの映像のもつ深みにやられた。
また、楽曲内容と併せてこのMVについて書いてみたいと思ったので、今回は一つの楽曲に絞ってレコメンド。



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では、肝心のMVを早速ここで。


「ハローグッバイファックユー」





彼らのライブを初めてみたとき、歌って踊る古宮大志の姿を見て、「あぁこの人は音楽無しでは生きられない人なんだなぁ。」と思ったのを覚えている。

もちろん、究極のリスペクトをこめての感情なのだが、そう思わされたのは、彼の紡ぐ歌詞の繊細さと、それに反してがむしゃらのライブパフォーマンス。


MVの中にも、メンバーみんなで集合して演奏しているようなシーンがあるが、彼はひたすら踊っているし、邪魔な衣服は脱ぎ捨てるほど。
ライブではマイクに噛みつくようにメロディーを叫んで、間奏部分では踊りながら自身のバンドTシャツをひきちぎっていたのを覚えている。



一方で彼の書く歌詞は、


水飲み場の虹を僕は今も作っています
それを仕事にできないのが 今一番の悩み


や、

ワンダーランドで育った 君の歌がワンダーで
何が悪いんだミステリー 歌詞だけは直すなよ

などと、場面の切り取り方が本当に独特で、アハ体験にも似た驚きを与えてくれる。



こんな歌詞を書く繊細さと、先述したがむしゃら感を合わせて表現できるのは、音楽しかないんじゃないかなぁと思ったのだった。
音楽に真っ当に生きる男。これが第一印象だった。




ハローグッバイファックユー でも水田の光



出会いには必ず別れがつきまとって、しかもいい別れ方が出来るとも限らない。
ここで言う出会いとは対人間のことだけじゃないのかも知れない。
もう会いたくない、もうやりたくない、ファックユーと悪態ついて何かと別れて、やりきれない悲しみの中で見つけた水田の光。
この情景描写に一発で惹かれてしまった。


この、でも水田の光 という歌詞は、


光る水がただれた心に染みて
生きていけるってことあるでしょう


と歌った大森靖子や、


さっきまで曇ってた空
いつのまにか晴れてるってこと ない?


と歌った曽我部恵一にも通ずるような、当たり前に存在する物事から、「救い」をフォーカスして切り取ったものであり、そういう些細な出来事から救いを描くことのできる人はごくごく一部であると思う。
ふとした日常がきらめく瞬間というのは本当に素敵だ。




そして、もう一つ。


さんざん笑って作った あんな夏の一日は
いつでもまた作れるから ためらわず壊そうぜ


この一節も、聴いていて気持ちの良い部分。



人や物事との、出会いと別れの繰り返しの中、一緒にいられる人や続けられることがあるというのは、ある種奇跡のようなものだ。
その奇跡の集合体がバンドであり、それを通じてこういう音楽が届けられているというのは本当に感動的なことなのではないだろうか。

前回の記事では、フジロッ久(仮)のアルバムについて書いたが、そこでも同じようなことを感じた。
バンドはいいぜ。音楽はいいぜ。

やりたいことをやっている人の音楽というのはこうも美しいものか。


バンド(音楽)はいいぜ。おまえもこっち側に来いよ。
と言ってるような、手招きするラストシーン。
社会的なしがらみなんて全て壊してしまえるような、メンバーの飲んでいた飲み物を蹴飛ばすカット。
おわりの文字すらかき消す波に、「続き続ける僕のレテパシーズ」を表現したような鮮やかなエンディング。


そうだ。ファックユーで別れたあとは、またハローだ。

もちろん全て個人的な想像であるけれど、バンドの、バンドメンバーの、楽曲の、世界観や雰囲気を海という舞台で綺麗に表した傑作であるように思う。



社会人なんかやめてこっちにきちゃえよ。
と言われているような、ためらわず壊そうぜの部分、スカッとする歌詞に反してスカッと出来ない自分がいるのは、まだまだやりたいことをやれてないのだろう。

頑張らねば。生きねば。


あんまりこのPVを眺めていると、3:21辺りの古宮夏希氏にすっかり虜になってしまいそうなので、今回はここまで。