一枚目のアルバム「コワレル」を2011年にリリースしてから、およそ2年ぶりの新譜となった。

名曲「はたらくおっさん」のPVについて、以前書かせていただいたこともあったが、思えばだいぶ前だった。

年月を経て、今のフジロッ久(仮)がどう変化しているのか。

音も、彼らのメッセージも確実に変化していた。

世界は愛に満ちている!


nyt





フジロッ久(仮)
は、高円寺を中心に活動する、6人組パンクバンド。
自分たちの現状や、今の日本へのブラックユーモアも混じった歌詞を、昭和歌謡を匂わす雰囲気とヒップホップの要素も踏まえた音楽に乗っけて歌う。



前作「コワレル」では大袈裟なほど賑やかな合唱や、大袈裟なほど静かな弾き語り、大袈裟なほど速かったり遅かったりする曲が多いような印象を持っていた。
一曲ごとに極端な方向性を持っていて、常に全力な音楽に、楽曲の印象からパンクを感じていた。



今作「ニューユタカ」ではそこまで大袈裟に振り切れた曲は少ないと思う。
その代わり、彼らが獲得したのはちょうど良さ。

ライブハウスでひたすらに暴れ回るような楽曲がこれまで多かった中、爽やかさすら感じるアレンジが光る。
特に、ディスコミュージックを彷彿とさせるダンサブルな楽曲、「punk lover's dream come true」や、キャッチーなシンセを撤廃してピアノサウンドに特化したバッキングを刻む、「シュプレヒコール」がまさにそれ。

全力さから一歩引いた、リラックスしたテンポ感と、それでも落ちないグルーヴ。

暴れるから踊れるに変わったような楽曲が多かった。
これが実にちょうど良い。前作の激しい流れからは想像の出来ない変化だったけれど、これは進化と呼んでいいと思う。



もちろん、彼らのパンクサウンドは他の曲で顕在。
表題曲「ニューユタカ」や前アルバムからの一曲「阿蘇山大噴火」を彷彿とさせる「マイノリティ」は彼らの基盤を感じさせる頼もしさすらある。

前アルバムでは弾き語りに近い楽曲でひときわ光っていたメロディセンスが、今作は全ての楽曲に散りばめられているよう。どれを聴いても惹き込まれる部分があった。







前アルバムから、「フジロッ久(仮)の(仮)のテーマ(仮)」のセリフを引用させていただく。

社会的に不利な立場大勢でお送りしております!

とか、

この生き方、親御さんには言えねぇなぁ!

と、啖呵切って叫んでいた前作から大きく変わっていて、


じいちゃんみたいに優しく孫に胸張って言いてぇの
「ぼうず、世界はてめぇらで作るんだ。俺たちがしてきたように」

(ニューユタカ)


耳をすまして 声が聞こえる
おとうさん おかあさん お兄ちゃんと 話をしてみる

(シュプレヒコール)


身近な人への愛がふんだんに詰まっていた。この変化が実に印象的で感動的。
前作のアルバムからきっと今に至るまでに、何か心境の変化があったに違いない。
と思ったけど、肝心なことを忘れていた。
3.11だ。このキーワードは「うまれる」の歌詞の中にあった。


歌詞の中には311だけじゃなく、911や815、ケンポーのキュー、げんぱつ、せんそーと言った言葉が散りばめられている。

日本は安全で平和な国だと、オリンピック招致でも声高に主張していて、のうのうと暮らしている身でもそう思う。
でも彼らは水面下の問題を見つめているし、それを承知の上で今を生きる素晴らしさ、自分で切り開く未来の美しさを歌っていた。

「人は平等にいつでも死んでしまうからこそ、やりたいことをやりなさい」
と瀬戸内寂聴さんが言っていたけれど、フジロッ久(仮)のやりたいことが音楽に乗っかってまっすぐ届いてくる。
隣人を愛すること、今を生きること。そしてやっぱり、やりたいことをやること。

収録曲の一つ、「シュプレヒコール」とは、デモやら集会やらで、自身の主張を繰り返して訴えること。

そんな素晴らしさとか美しさを、ひっくるめて愛として主張していいのかも知れない。

このアルバムは愛に満ちている!


ばあちゃんみたいに元気に孫に胸張って言いたいの
「ぼうや、世界は愛に満ちている。私たちが感じたように」

(ニューユタカ)