なにやら可愛らしいバンド名、壮大なタイトルと美しいジャケットに惹かれて購入。
これがいい買い物でしたので。

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今回は、世界のきたのというバンドの「世界の収穫祭」という1枚をレコメンド。
名古屋出身の北野兄弟が中心となって、2009年に東京で結成されたスリーピースバンドであるが、2013年2月に解散。
その解散後、2枚のミニアルバムを発売したのだが、今回はそのうちの1枚。1stデモのほう。
ディスクユニオン限定で販売しているらしいのだが、たまたま見つけて一目惚れ。なんの予備知識も無く聴き、なんの先入観も無く書いている。


1曲目の「案山子」の音源がYouTubeにあった。
詳細部分には歌詞が載ってるのでぜひそれも一緒に。







CDに収録されているものとはアレンジが異なり、こちらではハーモニカやらピアノやらの色んな音の聴こえるハンドメイドなアレンジとなっているが、CDの方はより純粋なバンドサウンドとなっている。
少したどたどしいようなファルセットで歌われるメロディがなんだか心洗われるよう。
このハイトーンボイスで繰り出されるメロディ、4曲入りのこのCDのどこを切り取っても美しく思う。
捨て曲が全く無いように感じて、そのことも単純にすごく嬉しかった。


一方で、歌詞はさながら現代詩のような複雑な比喩で構成されていて、完全に意味を理解すること、作者の意図通りの意味を汲むことはなかなか難しく思える。
しかし、個人的には歌詞から見えてくる景色がとても好きであった。


姨捨山にもゆる緑 大文字なんか焼かれたり
「案山子」

短い春が終わって
僕らのくたびれた庭に咲いていた花の肩の力を抜くのに後180日

「割烹着」

若者は 一般的に横柄と云われる音で 世界を大きく二つに軋ませて
「玉蜀黍」

純愛に騙されて畑を燃やした
「花畑が燃えている」


好きなフレーズを勝手に列挙させてもらったのだが、これらが全て各曲の最初のフレーズ。
文章において一行目というのはとても重要なものであるのは周知の事実であるが、それは大体小説やら詩やらのお話だったりする。
それが歌詞から感じ取ることができたのは初めてで、衝撃を受けた。
歌詞という概念を離れて、現代詩としても成立しているようであったので、「現代詩のような」という括りで書かせてもらった。
こんな言葉たちがどんなメロディで歌われるかは、ぜひCDを購入して聴いてほしい。


彼らの音楽から、朴訥という言葉を思いついた。淡々と歌っているようにも聴こえるし、でもメロディのそこかしこからたまに感情のが滲み出るような気がして、そのギャップに人間味を感じた。
Vo./Gt.北野理洋が歌詞を書いているようなので、この人が朴訥とした人なのかなぁと思ったのだけれど、そもそも朴訥という言葉がどういうものか把握しかねたので辞書を。

朴訥(ぼくとつ)
かざりけがなく、口数が少ないこと
なるほど。類語で素朴、純朴という言葉も出てきた。もしかしたら難解な歌詞も書き手にとっては必要最低限の自然な言葉の並びなのかも知れない。実際にブログを見ても、歌詞のような文章が綴られていた。

世界のきたのの音楽からは、個人的にはジャケットや歌詞の印象もあり、木とか花とか草とか、土臭い田舎道なんかを想起させられた。
ただただそこに自然がある。素朴、純朴とした景色である。匂いや湿度を感じそうなほど。


ジャケットというと、表紙もおすすめポイント。和紙のようなごわごわした質感であしらわれた表紙は、作り込みにこだわりを感じるデザインで、CDという媒体の持ってて嬉しい感じ、所持欲を満たすのにも一役買っている。
このジャケットのデザインも北野理洋が手がけているらしい。
なにやらこの人からはただならぬ才能を感じる。


世界のきたの、冒頭にも書いたとおり現在解散中ではあるが、調べてみるとツイッターには「夏を目処に復活できたらいいなと思う所存です」とのこと。
これは期待して待つしかない…!