「特別」であるということの魅力さは、散々フィクションの世界に揉まれて分かってきた。
でも現実はやっぱり厳しい。
じゃあ「普通」じゃダメなのか。

「特別」への憧れと「普通」の日常の中で揺らぐ思いを、「さえない気持ちに焦点をあてた」と言って表現した一枚をレコメンド。


ygr




夕暮レトロニカというスリーピースバンド。

ギターボーカル、ベース、ドラムのシンプルな編成で、Vo.岡田ピローの実直な歌声と、等身大な歌詞が、良い意味で男臭さを演出しているバンド。



今作「夜が明ける」も、決して奇をてらわない。
むしろ、歌詞の等身大さがより増していて、彼の生活まで見てとれるほどであった。

彼女との同棲生活を綴った「僕らのギャラクシー」や、メールを通じた失敗談を軽快に歌う「オコラリーノ・ホッサレリーニョ」、生活に密着したような歌が多いなか、より興味を惹いた曲が。



4曲目の「僕は普通の人」という曲。
なんとなくこれが、夕暮レトロニカの今作の音楽性を表しているような気がしてならなかった。


結局僕は普通を見下すのに普通が好きな普通の人だね


特別になりたい気持ちもあれど、結局のところ自分は普通の人である。という歌。
フィクションが蔓延して、綺麗ごとなドラマや映画のストーリーを見て育っている中、誰しもが特別な出来事とか非日常に憧れる。
中二病と呼ばれているものも良い例かもしれない。
かっこつけて他との違いを演出するも、結局のところ演出している時点で、元々は普通ということであり、それに気づくまでに結構な時間を使ってしまっていたりするものである。



バックパック背負って旅に出ようって 言ったまま三年経ってる
(明日の在りか)

今日も競争社会に一苦労
(怪獣プースカ)

何も起きないで朝が来る
(検索エンジン)

もし明日君とイザコザがあったら 何も手につかない俺でありたいけど
三度の飯は喉を通りそうだし 疲れりゃ少しは眠れそうだ
(僕らのギャラクシー)


何か特別なことがしたいし、起こるような気もするけれど、何にもないまんまただただ日常が過ぎていく。
「特別」への憧れと「普通」の日々が合わさったもやもやが随所に散りばめられている。
さえない気持ちに焦点をあてたというこのアルバムには、そんな気持ちが決して卑屈になるわけでなく、開き直りに近いスカっとした音楽に昇華されていた。
だから決して悲しくはならない。


ちらっと音楽に触れたところで、ドラムの小気味よいビートが爽快感を演出する、このPVを。





二百円で始発まで待とうぜ
缶コーヒーで語り明かそう
今なんだ終わらせんな、青春


普通じゃないことをしたがる気持ち、それを面白いと思う気持ち、「普通」の日常に揉まれながらでも手放しちゃいけない。
きっとそんな気持ちを持ってるだけで、青春として輝く世界があるのでは。
そんなことをふと考えさせられた一枚。