音楽八分目番外編!
とりあえずのライブハウスにてカテゴリで。


DSC_0208


色彩的、造形的な芸術と音楽は紙一重。むしろ共存すらしていた。

備忘録として。





2013年、1月31日。
自動車免許の更新をする予定で外出するものの、まんまと30分勘違いをしていたため、路頭に迷う。

以前テレビで存在を知っていたものの、行くタイミングを逃していた「アートと音楽」展に急遽行ってみることに。
2月3日までだったのね、危なかった。

清澄白川駅から少し歩いて、東京都現代美術館に。お初。
ロクに下調べもせずに、上野に行くところでした。美術館なめてた。



いくつか気になったものをピックアップしておく。
順不同、敬称略ってやつで。


カールステン・ニコライ「ミルク ○○Hz」
ミルクに特定の音波を当てたときに、どのような振動を見せるか。その波紋を記したもの。
10~110Hzまであって、人間に聴き取ることはできないものながらも、液体に振動が伝わるとそれに伴って規則的に◎←のような波紋がいくつにも広がっていくのがなんだか不気味。


八木良太「Vinyl」
緻密に氷で再現されたレコードをプレーヤーで再生する作品。
氷が溶けていくことによって、楽曲にノイズが混ざり、やがてはノイズのみになってしまう。
映像を見ながらヘッドフォンで聴く作品であったが、常に人が並んでいて、自分は最後のほうしか聴けなかったのが残念であるが、コンセプトやメッセージ性が比較的強くて分かりやすい作品だったかなと。


オノセイゲン+坂本龍一+高谷史郎「silence spins」
高さ3メートル弱くらいの真っ黒な箱。靴を脱いで中に入ることができ、大体大人4人も入れば窮屈そうな広さ。
音の反響が特殊になる材質で構成されているらしい。
外ではピアノの音がぼつんぼつんと断続的に鳴らされており(これも別の作品の一つ)、その音を中で聴くと、独特の余韻を感じられた。ワンワンワン。。というようにいつまでも耳に残る独特な残響(って言って正しいのかどうか)が、人間の可聴域の狭さというのを体感させられたような気がした。


マノン・デ・ブール「二度の4分33秒」
現代音楽や実験音楽で知られるジョン・ケージの「4分33秒」の演奏している姿を2回上演する作品。
「4分33秒」とはタイトル通り4分33秒の間演奏者は全て休止を指定されていて、無音や雑音を音楽として聴く楽曲。
一回目はピアニストの姿をひたすら映し、二回目はそれを聴く観客の姿や外の景色を映す。
存在は知っていたものの、なかなか聴く(?)機会のないこの作品。
感じたのは、演奏者も観客も無音を表現する、体感するという意味では平等の立場にいるということ。
映像を通り越した「こちら側」の観客も巻き込んで、無音が演出されているのは、それだけで非日常の体感であった。それとともに、雑音が日常とされているなかで、雑音を音楽として聴く曲で無音を演出するように気を張っている環境っていうのは、なんだかシュールな皮肉のようで、感慨深かった。


大友良英リミテッド・アンサンブルズ「with"without records"」
レコードっぽい円盤状のものに何か異物をくっつけて再生する。そうすると、円盤の回るタイミングに合わせて、プレーヤーの針が異物に触れて音が鳴る。
そんなガラクタみたいな仕掛けが広ーい空間に高さも場所もアトランダムにズラっと並んでいた。
一定の周期で再生されていたり、いなかったりするレコードプレーヤーの「森」に足を踏み入れると、そこかしこから物音が。こつこつやらしゃらしゃらやら不思議な物音に包まれながら、近づいていくとどの音もチープな装置で再生されていたりするから、なんとなく可愛らしい。
人工的に作られ、人工物で再現されている物音で、あたかも本当に森の中のような感覚に陥った。


現代音楽の楽譜やら、音楽にインスピレーションを受けた絵画も展示されていたが、言葉で説明できないので割愛。


普段聞いているなんらかの音も、こちらの解釈次第では意味を持ち音楽になるのならば、なんだか少し日常が賑やかになるんじゃないかなぁと。個人的にそれはすごい幸せなことなんじゃないかと思います。
音に意味を持たせる、この音がすげぇって思う感覚っていうのは人それぞれだけれど、その範囲を今回の展示で少し広げることができたのかなと。

タイトルにもなっている共感覚。
作品を生んだ人との音楽的感覚が少しだけ縮まったような気がします。




余談も余談な話。
展示会のスタッフさんで、前髪ぱっつんからサイドは顎くらいまで、隙が無くぴっちり完璧に切り揃えられたセミショートボブの女性がいらっしゃったのだけれども、基本的に微動だにしないその人がたまに髪をちょこっといじる仕草も、実にアートでした。なんだか芸術的な方でした。