THEラブ人間決起集会【OOO(October’s Ocean Over dub)】

に行ってきた。


THEラブ人間は昔から大好きだったバンドで、足繁く通っていた頃はよく見ていたのだが、最近はそもそも行けず。
今回久々のライブだったので、自分の原点回帰と銘打って最前で体感してきた。

単純なライブの印象と、改めて出会った「Over dub」(多重録音)という言葉の意味合いについて、ライブの時系列に沿ってまとめた。



いきなり「砂男」からおっぱじまった。


いつもライブ終盤の怒涛の勢いから始まる叩きつけるようなストロークも、今回は落ち着いていた。
曲に付随するガムシャラ感が少し薄れた代わりに際立ったのは冷静さ。
そもそも一曲目ということもあるだろうが、そんなことよりも、これまでのバンドが繋いできたバトンを受け取った責任を含めて演奏していたように見える。演奏者自身の立場が変わると、それに伴って表現するベクトルが変化するような印象。CDの再現でなく、曲がその時その時の産声を上げる瞬間がたまらない。まさしく、観客と演奏者で創り出す空間である。


やっぱりあんたらなしじゃ生きられないや

ライブで聴くとまたたまらない味わい。ひしひしと伝わる歌詞が度数の強いアルコールのように奥底に沁みる。




立て続けに「悪党になれたなら」「これはもう青春じゃないか」
お決まりの観客アゲ選曲。アルバム作成の際、最後の最後まで苦しみ抜いて生んだ「悪党」はとてもそんな背景があるとは思えないダンスチューン。自虐的なほど赤裸々な歌詞に付随する音楽で踊る観客をステージから見るのはどんな気分なのだろうか。
「青春」の後半、会場中の大合唱は本当に気持ちがよい。もはや恒例となるほどの合唱っぷりに、みんなこのバンドのこと好きなんだなぁ。としみじみしてしまう。




「大人と子供(初夏のテーマ)」。そう言えば海が舞台とも言えるような曲であった。ふとツアータイトルを思い出す。
「OOO」の見解については後ほど。




新曲。タイトル聞いておけばよかった。
ベースのタイトな刻みに、シンプルな照明とミラーボールが映える。なんだかダーティでムーディな雰囲気であった。弾き語りのニュアンスを残しているようなシンプルなアレンジであったので、もしかしたらまたこっそり手を加えて披露するかも知れないと勝手に考える。



ボーカルの金田さんから彼のお祖父さんに関するMC。お祖父さんの形見のSEIKOの時計をじっくり見て、自分に残された時間の60年ちょっとで歌い続けて、残していかなければならない、と言った後、本編最後の「おとなになんかならなくていいのに」。客席に背を向け、ひたすらステージの斜め上のほうを見上げながら一番を歌い切る。亡きお祖父さんに捧げるラブソングであった。
ラブソングの対象は必ずしも恋人だけではない。身近に存在する愛する人であれば誰でもその対象になり得るものだった。

えぶりしんぐごなびーおーらい なっしんごなちぇんじまいわーるど
父親が亡くなってしまった少女の視点で、彼女の成長を描いたある小説のあとがきに、作者も小説を発表した後、実際にそれと同じような不幸があったときにその物語に助けられたと書いてあったのを思い出した。
もしかしたら歌い手自身もこの歌に助けられているのかも知れない。




アンコール。シングル発売決定の発表!おめでたい!
A面「アンカーソング」とB面「黒いドロドロ」を演奏。
まさかの黒いドロドロ再収録。やっぱりドラムのアレンジに耳が向く。
残るは京王線だけか…。とつぶやいてみる。




【OOO(October’s Ocean Over dub)】(10月の海を多重録音する)という意味を持った、今回のツアータイトル。
多重録音という言葉について見つめなおす。


海が好きでよく行っているというMCもあったが、友人とでも恋人とでも内なる自分とでも、一緒に海を眺めて様々な会話をして、多重録音されていったその景色は一層自分だけの特別な景色になっていくのであろう。


様々な景色を多重録音して、ときには思い出としてその音源を引っ張りだしたり、聞きたくも無い音源は頑張って封
印しようとして出来なかったり、そんな繰り返しをしながら人は生きていく。

多重録音の特徴は全ての音源が決して上書きされずにそのまま下地となって残っていくこと。良かれ悪かれ。


重要なのはどんな景色をどう見るかであり、その選択肢は自分がしっかりと握っているということなのだと思わされた。



画像も全く無いライブレポート、相当さびしいのでPVをつけておしまい。
小難しいことも考えたけど、相当はしゃぎました。この曲で。