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中村一義デビュー15周年おめでとう!

文字通り満を持して2012年7月に発売されたニューアルバム「対音楽」。
中村一義にとっての音楽人生の基盤となったクラシックから、さらに想いの深い作曲家、ベートーベンを根源に作成されたコンセプトアルバム。
9+1曲で構成された今回のアルバムは、ベートーベンの9つの交響曲をモチーフに使用された(+1曲はピアノソナタがモチーフ)、まさにベートーベンへの愛やクラシックへの感謝が詰まったものとなっている。


アルバムのクライマックスに「歓喜のうた」(対ベートーベン交響曲第九番)という曲が入っているのだが、このアルバム中で私が最も感銘を受けた部分があったので、今回はこの曲に注目して書く。

シンセサイザーでの神々しいコーラスワークを主体に、原曲の第四楽章をなぞるようなかたちで始まる。
そしてバンドサウンドがそれを切り裂くよう6/8拍子を刻む。中村一義の核となる楽曲には欠かせないこの拍子であるが、原曲の歓喜の歌でもこの拍子が用いられてる部分があり、前奏からいきなりベートーベンとタッグを組むところに、彼のこの楽曲に対する愛情と意気込みが伺える。


「君にとって私はどういう存在でしたか?」
(1番)

「君にとって音楽はどういう存在でしたか?」(2番)

「対音楽」のポスターやらなにやらでの宣伝文句でもよく使われていたAメロの歌詞。
今までの音楽を清算するかのような、フックの効いた一文。中村一義、ベートーベン、リスナー、このアルバムを頭から聴いて構築されてきたそれぞれの関係性について、最後にこの曲で改めて考えさせられる。


後半、最後のサビの後に入る、拍手のSE。これが今回この記事を書くことになった要因である。
なぜこのSEを用いたのか。
曲中ではそのあと原曲通りの低音からようやく奏でられる「歓喜の歌」のメロディ。ここからがベートーベンの本当の出番なのであろう。彼の音楽という存在を出迎えるための拍手であるように解釈できる。ワンコーラスたっぷり原曲を聴かせた後、前奏のように合唱とバンドサウンド。
「・・・歓びを。」とだけ歌い切ったあと、再び拍手のSEである。


演奏会において通常、演奏前と演奏後に拍手があるが、このSEもそれに対応しているように感じる。
最初の拍手で一番有名な主題を迎え、バンドサウンドと一言だけの歌詞でコラボレーションを決定づけ、最後の拍手とともに去っていくようなつくり。
「歓喜のうた」の曲中にその演奏前の拍手が起こったとするならば、偉大な作曲家を前に、中村一義自身はこれまでの楽曲と共に前座と相成り、拍手のSEを用いてベートーベンを舞台に招き、この一瞬を作り上げたとなると、言い過ぎだろうか。


それと共に、余談ではあるが、ベートーベンと第九と拍手に関しては次のようなエピソードもある。
初演時、やはり耳が聴こえる状態ではなかったベートーベンは、指揮者のテンポサポートの役割で舞台上に立っていた。
演奏終了後、観客に背を向けそのまま立つベートーベン。彼はその聴力から鳴り止まない拍手喝采を聞くことができず、演奏は失敗に終わったと感じ、振り向くことが出来なかったのであった。異変に気づいた独唱者が彼を振り向かせてあげると、眼前には熱狂する観客の喝采が見え、アンコールに答えて第2楽章を演奏したという。



「ちゃんと死んだ君」に対する精一杯の「ありがとう。」がこの楽曲からひしひしと伝わってきて、ここまで書いてしまった。
拍手のSEに込められた想い、勝手に想像してしまったが、それも楽曲の持つ深さに揺さぶられてしまったからである。
素晴らしい楽曲を「ありがとう。」